小説に興味を持ってから人生が楽しくなった

読書が苦手だった私が、五十歳を過ぎてから、急に読書が好きになった。そのおかげで人生が豊かになった気がする。これからもっと読書が好きになれるように、人生が楽しく豊かになるように

自然や周囲の表現 森沢明夫作品 ヒカルの卵

 私は小説を読むだけでなく書いてみたいと思うようになりました。超短編ですが書いてみました。
 しかし、浅い表現しか出来なくて、面白いものが作れません。
 プロの小説家の作品から学ぼうと思い、ここに残しています。
 今回は森沢明夫さんの「ヒカルの卵」です。
 森沢明夫さんの作品は表現が美しく優しいので大好きです。文字だけで、美しい映像が頭に浮かぶ表現力を参考にしたいです。

森沢明夫 ヒカルの卵

 夕空はさっきより赤みを増して、ぽたぽたと石段に落ちる木漏れ日は淡いピンク色だ。

 まるで古い蛍光灯を新品に換えたかのように雰囲気がパッと明るくなった。

 この地域が誇るべき観光資源はある。たとえば、梅雨時の蛍原川の清流にはゲンジボタルが乱舞するし、魚影が濃いから渓流釣り師には夢のような釣果が期待できる。支流を遡れば「幻の滝」があり、条件によっては滝壺に見事な虹がかかるのだ。また、村のはずれには、植物学者も注目する湿地が広がっていて、初夏の頃にはまさに百花繚乱(りょうらん)となる。

 俺は、夕照に染まった赤い風を胸いっぱいに吸い込んだ。そして、もの言わぬ故郷を一望しながらつぶやいた。
「俺が、やるだけ、やってみんべさ」

 今宵は少し風が吹いていた。でも鼻の奥がつんとするような冷たい夜気のどこかに沈丁花の甘い香りが溶けていて、なんだか少し優しい気分になる。
 ジャンパーの襟を立てて、脚を早めた。

 ふと夜空を見上げたとき、思わず俺は足を止めた。パチンとひとつ手を叩けば、その音の振動でバラバラと降ってきそうなくらいの星空だったのだ。

 つやつやと飴色に光る年季の入った廊下と階段は薄暗くて、家のなかは静まり返っていた。どうやら直子さんとトミ子婆は、ふたりして出かけているようだった。

 ぼくは、流れの近くにある大きくて四角い「とうふ岩」によじ登って、あおむけに寝そべった。天然のベッドは、ちょっと固いけれど、背中がひんやりして心地いい。
 ふう。
 空のブルーがまぶしくて、目を細めた。

 川の上流から吹いてくる春風には、清冽(せいれつ)な水と、豊かな森の匂いが溶けていた。せせらぎが全身から染み込んできて、気持ちが内側からほどけていくのが分かる。

 ポチャン、と川の浅瀬で小魚が跳ね、水面に生じた波紋がじわじわ広がっていく。河原の石の上ではセキレイという白と黒の小鳥がオーケストラの指揮者みたいに細長い尾羽を振っている。

 さっきまで薄曇りだった空は、その一部が細く裂けて、裂け目からレモン色の陽光が山裾に降り注いでいた。

 小鳥たちの歌声が無数の音符になって降ってくる。清冽な流れは木漏れ日をはじいて、ひらひらと銀色に光っていた。

 絹のような小雨が頬をなでる生暖かい天候のなか、朝から夕方までみっちりと苗を植え続けて、「夢気分」が田んぼに整然と植え付けられた。

 六畳一間の安アパートの窓から、淡い西日が差し込んでいた。
 その西日を浴びたテーブルの向こうに、三十代半ばとおぼしき男が正座している。男の顔は、どこか間の抜けた感があるが、やたらと愛想がよくて、私の出した粗茶をうまそうに啜る。

 この日は、朝から風が強かった。
 空はもったりとした鉛色に沈んでいて、どこか不穏な気配を漂わせていた。時折、吹き抜ける強風が、周囲の樹々の枝をざわざわと揺らし、いつもは雨のように降り注ぐ小鳥たちの歌声もない。

 この田舎に引っ越してきてはじめての出勤は清々しかった。
 澄み切った青空と、炭酸水のような沢の水音と、小鳥たちのさえずりに祝福されているようだったのだ。

 店内には新築ならではの少しよそよそしい匂いと、森と、醤油と、卵と、ご飯の匂いが入り交じっていて、私の鼻孔をやさしくくすぐった。厨房の照明をつけて、窓を開け放つ。清々しい朝の空気を店内に呼び込むと、私は思わず伸びをした。

 みずみずしい初夏の陽射しがまぶしいのだ。空にはもこもこした真っ白い雲がふたつ浮かんでいるだけで、それ以外の広がりは清爽なブルー一色だ。

 視界の隅っこで、雀たちが飛び立った。
 ニ羽の重さを失った枝は小さく揺れて、しずくをキラキラと落としていた。

 今日も、絹のような雨が、世界をしっとりと濡らしている。

 窓を見ると、外はパイナップル色をした夏の夕暮れだった。一ノ沢と、樹上の幾千もの葉たちが陽光を受けてきらめいている。やわらかな風と一緒に、カナカナカナ……と、蜩(ひぐらし)の哀歌が流れ込んでくると、私は少年時代の夏休みの匂いを思い出して、胸の奥が甘く痛んだ。

 夕空にびっしりと、うろこ雲が広がっていた。
 東の空は淡いスミレ色で、西の方はハチミツ色に光っている。

 コト、と誰かが盃をテーブルに置いた音がして、それが余計に静寂を際立たせた。どこかで、ため息が漏れた。

 やがて葱の焼けるいい匂いが店内に漂い出した。少し動きの悪くなった換気扇が、ブーンと小さな音を立てる。

 師走に入って、蛍原集落はぐっと冷え込んだ。
 身の引き締まるような風には森の腐葉土の匂いが溶け込み、山も川も、どこかひっそりとしている。

 ぼくは、ひとり大通りに面した焦げ茶色のビルを見上げた。親父の会社の持ちビルだ。直線と直角で造られたコンクリートの建造物は、田舎者をはねつける冷たいオーラを放っている気がした。そして、その上の空が、悲しいくらいに狭かった。

 二匹のイワナの魚影は見つけることが出来た。とろりと流れるビー玉色の淵の深みを仲良く並んで泳いでいる。

 新緑の樹々に包まれた夜は、気持ちをしんとさせるような静謐(せいひつ)をたたえていて、唯一「宝光の清水」の奏でる水音だけが、小さく、しかし、どこか凛々しく響き渡っていた。

 振り向くと、眼下には月光に照らされた狭い平地が広がっていた。そのまんなかを、やわらかな銀糸のように曲がりくねった蛍原川が貫流している。

 斜面を駆け上がってきた夜風が、わたしの首筋を心地よく撫でて、ついでに頭にかぶったバンダナの結び目の尻尾を振るわせた。