小説に興味を持ってから人生が楽しくなった

読書が苦手だった私が、五十歳を過ぎてから、急に読書が好きになった。そのおかげで人生が豊かになった気がする。これからもっと読書が好きになれるように、人生が楽しく豊かになるように

人の心や行動の表現 森沢明夫作品 たまちゃんのおつかい便

 小柄なシャーリーンが、ほとんど天井を見るようにして看護師さんに訊いた。

 シャーリーンの唇からこぼれ出た「娘」という単語は、わたしの胸の浅いところで礫(つぶて)のような違和感となって、ころりと転がった。

シャーリーンは両腕を抱くようにして、凍えた仕草をしてみせる

 押し入れの端っこに、母の遺影が無造作に押し込まれているのを見つけたときだけは、胸の奥の泉から熱っぽい感情がこんこんと涌き出てきて、ひとり泣きそうになったのを覚えている。

 コップを使わず、わたしたちは缶をぶつけ合った。
 ごくり、と喉を鳴らす。
「美味し~い」

 わたしは、こぼれそうなため息を、美味しいご飯粒と一緒に飲み込んだ。

 わたしはお猪口を手にして、お酒を口に含んだ。揮発したアルコールが鼻に抜けるのと同時に、酒米の甘味がじんわりと舌に染み込んでくる。

 わたしを見るなり南国の太陽みたいな、いつものカラッと明るい笑顔を浮かべた。

 小さな罪悪感と一緒に返事を吐き出した

 壮介は従順な柴犬みたいな顔をほころばせた

 わたしはシャーリーンのくりっとした鳶色の瞳の美しさに見とれそうになった。

 いきなり背中から見えない手を差し込まれ、ぎゅっと心臓を握られた気がした。一瞬、呼吸すら忘れていた。

 いったん食道を伝い落ちたぬるい番茶が、胃のなかで黒くて熱い感情の塊になって、逆流してきそうな気がした。

 渇いた喉を水道の水でうるおした。冬の冷たい水は、食道を伝い、胃に落ちていくのがよくわかる。コップ半分ほどの水を飲んだところで、思わず「ふう」と声に出してしまう。

「これ、わたしのだよね?」
 目がなくなるほど嬉しそうな顔をしたたまちゃんが、当たり前なことを訊く。

 胃の奥から食道のあたりにかけて、嫌な熱がこみ上げてきた。

 やるせないような思いが胸の辺りからじわじわと広がって、お腹の底まで侵食されそうな気がした。

 そのまま、何も言わない母の顔を眺めていたら、胸のなかに、ひんやりとした黒い霧のような感情が渦巻きはじめて、それが荒っぽい潮騒と混じり合い、みるみる膨れ上がり、喉の奥からこみ上げていた。

 わたしはぐったりとシートに背中をあずけた。半開きの唇からは、空っぽなため息がこぼれた。

 わたしは、ほぼ泣きっぱなしだった。しずくをこぼせばこぼすほどに、心がその分だけ乾いた空洞みたいになって、葬儀が終わる頃には、もはや脱け殻だった。

 やさしい父の顔がゆらりと涙で揺れ、わたしの肩が上下しはじめた。

 頷いた拍子に、しずくが再び落ちた。さっきと同じ手の甲に落ちたのに、しずくの温度が違う気がした。

 古館のおっさんは、仏頂面のまま、唇の端だけで小さく笑った。