小説に興味を持ってから人生が楽しくなった

読書が苦手だった私が、五十歳を過ぎてから、急に読書が好きになった。そのおかげで人生が豊かになった気がする。これからもっと読書が好きになれるように、人生が楽しく豊かになるように

塩田武士さんの「罪の声」の表現、描写

 弱った歯茎から歯が抜けるようにビルや店が消えていった。そんな中「テーラー曽根」は時代の波に乗ることも荒波に揉まれることもなく、振り子のリズムで時を刻んだ。

 照明を点けた後、すぐ隣に掛けられているリモコンの「運転」ボタンを押す。クーラーが眠たげな音を出して動き始めた。俊也は手を扇にして気休めの風を顔に送り、改めて飾り気のない小ぎれいな部屋を視界に収めた。

「ちょっと鳥居さんから連絡があってな」
 鳥居と聞き、阿久津は右手で額を押さえた。

 一つため息をついた後、阿久津は記者室のドアノブを乱暴につかんだ。

 ストレスが増していく。無意識のうちに手にしていたノック式ボールペンをカチカチと鳴らしていた。

 パンパンに張った両肩を回し、板のように硬くなった腰を伸ばす。

 味に慣れることを期待したヌードルだったが、結局克服できないまま胃に収めた。

 車窓から差し込む生まれたばかりの陽が、視界の半分をオレンジ色に染める。

 空は透き通るような水色をしているが、周囲を縁取るような油断ならない雲が浮かんでいる。

 キュルキュルと音がする引き出しから大きな紙袋を二つ取り出して、応接室のデスクに戻ってきた。

 額に玉の汗を浮かべる立花はネクタイの目を解き、焼酎のお替りを注文した。

 顎先から滴(したた)りそうになっていた汗をハンカチで拭う。

 カウンターの奥から「はぁい」と太い声が返ってきた。下駄履きの音が大きくなり、白い調理服の大柄な男が顔を出した。

 視線を上げると、カラスが一羽、瓦屋根に止まっていた。カラスは俊也を一瞥すると、邪魔だと言わんばかりにしわがれた声で鳴いた。

 油性のサインペンで書きつけられたように罪悪感が消えない。そして何かの拍子に思い起こしては、自らを正当化しようとする気持ちが、胸の内でジタバタするのだ。

 九月下旬になって多少過ごしやすくなったとは言え、まだ昼の陽は夏を引きずっている。阿久津はスーツのジャケットをショルダーバッグに引っ掛け、カッターシャツの胸元をパタパタと動かして気休めの風を送った。

 そのうち一軒が小さな電気屋だった。青く焼けたアイドルのポスターが目に入り、阿久津はどうやって暮らしているのだろうなどと余計な心配をした。

 上滑りする会話に辟易(へきえき)した。

 解散の声がかかると、沈没船から逃げるネズミのように会議室から記者が捌けていく。

 同じビルだが、流れている空気は大阪と屋久島ほどの差がある。

 この和室を見た俊也は、部屋自体が長年の生活に疲れているように感じた。

 本来少しずつ消費される若さを、早送りして失ったように見える。

 曇ったフロントガラスの向こうで、オレンジ色の街灯がぼやけて見える。
 季節は確かに冬へ近づいていた。車内は密閉されていたが、コートとマフラーだけでは頼りなかった。

 電話がつながってから、初めて長い沈黙が訪れた。このまま電話を切られるのではないかと気が気でなかったが、阿久津は相手の言葉を待つことにした。芯の出ていないシャーペンを軽くノートに打ちつけ続ける。

 生地に触れようと手を伸ばしたとき、不意にドアが開いた。
 冷たい風が頬を撫で、脳内の警戒ランプが灯る。これまで気配なくドアが開いたことなどなかった。第六感が非日常の展開を予言する。

 ヤニで汚れた壁紙の右端が剥がれ、暖房の風を受けて揺れている。

 三谷は言葉少なだったが、最後に腹の底から絞り出したような声で「よろしくお願いいたします」と言った。

「多分、あれですね……」

運転席の阿久津が「ラーメン」と書かれた赤提灯を指差した。その声に反攻したかのようにカーナビが音声案内を終了した。店前の砂地のスペースが駐車場らしい。地方の大らかさか特に仕切りはなく、自由に停めていいようだ。

「西華楼」の看板がかかる粗末な平屋建て。店前のカゴ付き自転車や室外機の配管に掛かっている傘が、いかにも庶民的で親しみを覚える。