小説に興味を持ってから人生が楽しくなった

読書が苦手だった私が、五十歳を過ぎてから、急に読書が好きになった。そのおかげで人生が豊かになった気がする。これからもっと読書が好きになれるように、人生が楽しく豊かになるように

七夕の恋人とお正月の父娘 (ショートショート)

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 わたしは、ある男性に恋をしてしまった。細身で背が高くダンサーのような体。切れ長で涼しげな目、鼻筋がまっすぐ通った三角定規のような鼻、薄く引き締まった刃物のような唇。少女漫画から出てきた、まるで少女漫画から抜け出した王子様のような男性だ。七月七日、七夕の日にわたしは思いきって告白をした。そして、即OKの返事をもらった。
 が、しかし、OKには条件があった。それは受け入れがたい条件、考えられないことだった。

「ほ、ほんとうにお付き合いしてくれるんですか」わたしは、OKの返事を聞いて舞い上がり、信じられなくて声が上ずってしまった。
「うん、いいよ。ただし」彼は人差し指を立てわたしに向けた。
「あっ、は、はい」
「今日だけにしてほしいんだ」彼の薄い唇の両端がキュッと上がった。
「今日だけ?」わたしは、その意味がわからず首を傾げた。
「そう、今日だけ。君は毎年七月七日、七夕だけに会うぼくの恋人だよ」彼は涼しげな眼差しで、そう言った。
「そ、それは、七夕以外は恋人でないってこと、ですか」
「そう、今日だけ。君は毎年七月七日、七夕だけに会うぼくの恋人だよ」彼は涼しげな眼差しのまま同じ言葉を繰り返した。
 わたしは全く理解できなかった。今日は恋人でも明日には別れるということなのだろうか。
「じゃあ、七夕以外は、わたしはあなたの恋人じゃないんですか? 明日になったら別れて来年の七夕にまた恋人にもどるってことですか」
「うーん、ちょっと違うな。君は一年中ずっとぼくの恋人でいてほしいんだけど、会うのは七夕だけにしてほしいんだ」
 ちょっと違うって、会えないなら、そんなに変わらないわよ。
「そんなの、おかしいですよ。恋人ならいつでも会えるんじゃないですか。なぜ七夕しか会えないんですか」
「ぼくには、今、三百六十五人の恋人がいるんだよ。だから、ぼくは毎日違う恋人とデートしなければいけないんだ」
「え、えー、……」目の前に星がチカチカと飛んだ。わたしの頭は混乱してしまい整理しようとしたが、その暇もなく、彼は続けた。
「だから、七月七日、七夕のぼくの恋人になる君は今日しか会えないんだ。それと、君がぼくの七夕の恋人になるためには、今の七夕の恋人とぼくは別れなきゃいけないんだ」
 まさかリアルな織姫と彦星なのか。そんなの絶対にありえない。目の前の星が一段とチカチカしてきた。
「そんなの恋人とは言わないです。毎日、わたしのことを思っていてほしいし、せめて週に一度はデートしたいです」
「それは出来ないよ。そんなこと、してたらぼくが他の恋人に会えなくなるよ」
 そんなこと? わたしと会うのが、そんなこと、なの。
「うーん」他の女性はそれで満足していることが不思議だ。
「一年のうちで七月七日、七夕だけの恋人は不満なのかい?」彼は眉を八の字にし、腕を組んで首を少し傾けた。
「他の恋人の人たちは、それで納得してるんですか」
「そうだよ。でないと、ぼくは付き合わないから」
「わたしは無理。嫌です」
「それなら、ぼくは君とは付き合えないよ」首の後ろをさすりながら呆れ顔でいうが、呆れるのはこっちだ。
「はぁー」遠距離でもないのに、一年に一度しか会えない恋人なんて、本当の恋人じゃない。だけど、この男性と付き合いたい。せっかくOKしてもらったのに、わたしから断るなんてもったいない。
 とりあえず、これから今日一日デートして、今日中に彼を自分だけのものにできないものだろうか。今日一日の勝負をする。ダメもとだ、その作戦はありかもしれない。
「どうする? もし君が付き合うなら、今の七月七日の恋人に別れを告げないといけないんだ。これから、その娘とデートだから、来年は会えないと伝えてくるよ。だから君とは来年の七月七日からの付き合いだ」
「えっ、そ、そんなぁ~。一年待ち? それも一年待って一日デートしたら、また一年待たないといけないの」
「そう、みんなもそうしてもらってるから。どっちにするか早く決めようよ」彼の顔が少し歪んだ。苛ついているのがわかった。
「うーん」やっぱり、わたしには無理かも。
「なんだか不服そうだね」
「はい、やっぱり不服です。せっかく付き合うなら、毎日でも会いたいです。デートしたいです。七夕だけなんて絶対に嫌です」
「だけど」彼はそう言って、わたしの両肩に手をかけた。そして、わたしの体をスーっと引き寄せ、顔を近づけてきた。わたしは避けるようにして俯いた。心臓が激しく暴れだしておさまりそうにない。彼は、俯いているわたしの耳元で囁くように続けた。
「七夕は特別な日だよ」彼の吐息が耳にかかる。脳みそが沸騰して溶けていきそうだ。まともな思考できなくなっていく。
 確かに七夕は特別な日だわ。一日違いだけど七月六日や七月八日とは全く違う。この男性にとってわたしは特別な女なんだと頭の中がパッと明るい赤色に光った。
「わたしは特別なの?」彼の唇とわたしの唇が重なるくらいの距離で呟いた。彼はわたしの頬を両手ではさむようにしてこたえた。
「そうだよ、クリスマス、バレンタイン、お正月、ホワイトデーに次いで、ぼくにとって、特別な日だ」
 熱くなった体がスーっと冷めていくのがわかった。脳みそも氷のように固まっていった。
 特別な日でも五番目かよ、と突っ込みたくなった。
「特別な日のすべてを一緒に過ごすのが恋人じゃないんですか」わたしは彼の手を払った。
「そういう考えの人もいるけど、ぼくにとっては、みんな大切な恋人だからね。こればっかりは譲れないよ」
 そういう考えの人もいる、じゃなくて、そういう考えの人が大半よ。やっぱり、やめておこう。この男性はやっぱり、ちょっとおかしい。
「いくら特別な日でも、わたしは、一年に一回しか会えないなんて我慢できないです。ごめんなさい。わたしから告白しておいて申し訳ないですが、やめておきます」彼への気持ちを断ち切るように深々と頭を下げた。
「そう、それは残念だなぁ、ぼくも君のこと好きになってたのに」
 そんなこと言われると、もったいない気になるでしょ。でも、ダメ。好きな人と一年に一回しか会えないなんて耐えられない。この男性は絶対におかしい。
「ごめんなさい。好きな人と一年に一回しか会えないなんて、わたしは耐えられないです」
「一年に一回会えるんだから幸せじゃないか」
「ダメです。あなたは、おかしいです」
「ぼくがおかしい? よくわからない」
「あなたのことを好きだと思ってくれてる相手と一年に一回だけしか会わなくても平気でいられるんですか」
「一生会えないわけじゃないんだから、いいじゃないか」
「それは、おかしいです。あなたは相手の気持ちを全く考えていない冷たい人間だと思います。だから、わたしは無理です」
「仕方ないな。それじゃあ、ぼくもあきらめるよ。でも、君はぼくのこと冷たい人間っていうけど、君も同じようなことをしてるよ」
「わたしは、わたしを愛してくれる人に、そんな冷たいことはしません」
「そうかな~、君をすごく愛してくれている人と今年の一月二日に会ってから会ってないんじゃない? そして、次に会うのは来年の一月二日のつもりでしょ?」薄い唇の両端を上げてニヤリと笑った。
「えっ、それって、うちの父のことを言ってるんですか」
「そう、君のお父さん。君のお父さんは君に会いたがってるのに、君は毎年一月二日にしか会ってないでしょ。お父さんが寂しがってるのに気付いてないでしょ。だから君もぼくのこと冷たいなんていえる立場じゃないよ」
 確かにわたしが社会人になって実家を出てから、父親に会うのは毎年一月二日だけだった。大晦日から元旦は友達と過ごして、二日の朝に実家に顔を出しておせちやお雑煮を食べる。のんびりとテレビを観てから、少し早めの夕食をとる。一月二日の夕食は毎年決まって、すきやきだ。父親の大好物だからだ。すきやきを食べながら、父親は目を細めてわたしを見つめている。母親とわたしが無駄話を延々としているのを隣で静かに聞いているだけだ。母親がわたしに恋愛の話や結婚の話をふってくると、父のすきやきを食べる箸はとまる。無口な父親がわたしに話しかけることは、ほとんどない。わたしが帰る時、玄関まで来て母親の後ろから、そっとわたしをみつめている。優しい眼差しだが確かに寂しそうにも見えた。
 今年見た父親は頭に白いものが目立つようになっていた。背中も丸く小さくなった気がした。
 わたしと一年に一度しか会えないことは父親にとって辛いことなのだろうか? これまで深く考えたこともなかった。 
「お父さんにもっと会いに行ってあげたらいいのに」
 男性はニカッと白い歯を見せた。そして続けた。
「じゃあ、また、気が変わったら連絡でもしてくれるかな」男性はそういって、わたしの手を引き寄せ、携帯番号の書いてあるメモをわたしの手のひらに置いた。
「あ、はい」わたしはメモを握りしめ、頭を下げて男性に背中をむけ、そのまま立ち去った。振り返らずまっすぐに歩いた。曲がり角を曲がったところで立ち止まり、フーッっと息を吐いた。手に握ったままのメモを開いてみた。11桁の数字が並んだだけのメモだったが、なぜか見覚えがあった。念のために11桁の数字を携帯に登録しておくことにした。すると、その番号はすでに、わたしの携帯に登録されてあった。登録名は山野茂男。わたしの父親だった。携帯に登録してあったがこれまで一度も電話したことはなかった。なぜ父親の番号を書いたメモを渡したのか、不思議に思ったが、わたしはそのまま登録を中止して携帯をバッグにしまった。
「お父さんかぁ」少し宙に視線をやった。今年のお正月、すきやきを食べている父親の顔と白くなった頭、わたしが帰る時にみせた少し俯きなからみせる笑みがグルグルと頭の中で回った。
「よし」
 思いきって父親に電話してみることにした。呼び出し音がしばらく鳴った。
「はい、もしもし」痰がからんだような掠れた父親の声が聞こえた。
「あっ、お父さん? 今、大丈夫?」
「愛美か? あっ、あー、大丈夫だ。どうした、何かあったのか?」
 普段電話しないわたしからの電話なので声が心配モードになっていた。
「別に、何もないよ」
「そうか、なんか困ってるんじゃないのか」
「大丈夫よ」何故か涙が出そうになった。
「そ、それならいいんだが。愛美が電話してくることなかったからな。びっくりしたよ」
 お父さんと電話で話すなんて何年ぶりだろう。
「うん、大丈夫。ただね」
「ど、どうした?」わたしの声が涙声になってしまってたので心配したのか、慌てたような強い口調だった。
「うん、あのね、今年のお盆に帰ろうかなと思ってね」
「な、なに。お盆にも帰ってきてくれるのか」父親の声が跳ねて語尾だけ裏返った。
「うん、お盆は、すきやきより焼き肉がいいな」
「よ、よし、わかった。母さんは知ってるのか」
「お母さんには話してないから、お父さんから伝えておいて」
「よ、よし、わ、わかった。ちゃんと伝えておくからな。お母さんにな。間違いなく伝えておくから。母さん、きっと喜ぶぞ。絶対だ。母さんの喜ぶ顔が目に浮かぶわ。ハハハ」
 わたしは、今、父親の喜んでいる顔が目に浮かんだ。